ぺだんの日記

日々の出来事や思ったことを色々書いていこうと思います

久々に乗ったAT車⦅20歳88日目⦆

MT車の自動車免許を取るべく、毎日教習生生活に明け暮れている。ダウト。1週間に2日ほどの割合で、教習生をしている。

今日は第2段階の8回目と9回目。8回目では路上停車の方法を学んだ。今日の教習を受けるまで、青の下地にそれを縁取る赤の丸と、\の向きの赤い斜線が入った標識が駐車禁止のマークだと勘違いしていた。仮免許を取得するために受けた筆記試験では道路標識や道路表示が試験範囲に含まれていたはず。覚えていないとマズいやつなんだけどなぁ。

まぁ忘れてたもんはしゃーない、切り替えていきましょう。そう自分に言い聞かせてアクセルを踏んだ。忘れてた側が言っていいセリフじゃない気がしないでもない。

路上教習では何回か、停車してはいけないドボンのエリアにに停車してしまった。右方から道が合流していて交差点になっている場所が、ドボンの最たる例だ。頼むからもっとわかりやすくあれ。電柱とか縁石とか、普段の運転では見なくてもいいところまで見なくちゃいけなくなるから、どうしても注意が散漫となる。ブレーキの掛け方が甘くなったり、縁石ギリギリまで車を寄せきれなかったり。慣れの問題だとすると、試験までに勘をつかめるかの勝負になりそうだ。技能取得系はやはり勘が全てなのだろうか。

後半戦、第2段階9回目の路上教習でも勘が僕を苦しめた。今回はタイトルにもある通りAT車に乗って、山道を走って来た。

19時からのコマで予約していたので、辺りは真っ暗だった。もう夏だから日が長いとはいえ、前の時間からロービームを使用して走っていた。

AT車に乗せられた僕は普段と違う車にビビり散らかしながらも、指示に従いながら行動に出て、街から離れて人や車のいない、農道や山道を走らされた。アクセルを踏むだけで前進するイージーな金属が今回の対戦相手だったので、やゆうのよっちゃんで動きを司ることができた。オートマ余裕すぎんか。

乗り始めこそ苦戦したアクセルも、5分足らずで感覚が掴めた。マニュアルは踏んだ分が露骨に加速度へと変換されるが、オートマは噛んでいるギアが多いのか、じわり滑らかに加速に繋がる。踏み込みを戻しても思ったほど減速してくれなかった場面を迎えるたびに、素直じゃないなぁと思春期の子を持つ母親みたいな気持ちになった。

素直じゃないのはアクセルだけではなかった。ブレーキの野郎も感覚が違うのだ。こっちもこっちで効きが悪い。個体差程度の差だから壊れてるとかじゃないんだろうけど、いつもと違う感覚に翻弄され続けた。こちらは最後の最後まで、よくわからないままだった。というかアクセルの方も、完璧に扱えるようになったかといえばそうではない。教習生人生ではじめて、慣れ親しんだオンボロMT車を懐かしんだ。

もう何回かしたらまたこのAT車にはお世話になる。高速教習はMT免許を取得する人もオートマでやるらしい。キックダウンを体験させたいのかなぁ。自動車学校サイドの思惑は不明だが、まぁ、そういうことだ。

正直なところ、AT車はあまり乗りたくない。全く乗りたくないのではなく、あまりというのがミソだ。

オートマはマニュアルよりも運転しやすい。簡単な分だけオートマの方が普及しているし、僕自身も免許を取ったらオートマに乗る機会の方が多いだろう。

しかし、オートマの操作にばかり慣れてしまっては、MT車の操作を忘れてしまう。せっかく免許はMTなのに。技能教習も全29回中4回ほどしかオートマの操作をしない。それでもAT車は操縦できてしまうのだ。そんな簡単なAT車ばかり楽しんでしまっては、記憶領域の狭い僕がマニュアルの操作を覚えてられるわけがない。

マニュアルの免許を取っておきながらマニュアル車は乗れませーんwwとふざけたこと宣う輩に成り下がるわけにはいかない。僕は高貴なMT車を運転できるんだぞ!となって、胸を張って免許を持ちたい。

そんな話とはまた別にして、最近行った床屋のにいちゃんがこんなことを言っていたそうな。

初めての車は安もんにしときや。どうせ事故るさかいにな。

なんやそれ…。なんでかと聞いたら理由は単純明快で、調子に乗ってやらかすのだそうだ。

高校二年生が中だるみの年と言われるように、車を持った大人の中でも、同じような歴史が繰り返されているらしい。

歴史を学びたい⦅20歳87日目⦆

僕は理系である。ちなみに逆は真とは限らない。

僕の身の回りにも理系の人間が多い、というのが普通なのだろうが、サークルやその他諸々の影響か、それともただの運なのか、僕の周りには文系の人間も割といる。

一番身近なところで言うと、僕の恋人は文系だ。彼女は高校で日本史を選択していた。

一番身近でないところで言うと、僕の妹も文系だ。高校で何を履修してたとか興味ないので全く知らないが、文系だそうだ。母ちゃんが言ってた。

二日前に実家に帰った時、妹が世界遺産検定なのようなものを受けようとしているらしいという話が耳に入った。母ちゃんが言ってた。

妹や彼女が日本史に精通している点から、母さんは僕に社会の勉強をするようにと命じた。言われなくてもやらなきゃ彼女の話についていけないので、いつかは学ぼうと思っている。

しかし僕には知識が足りない。学ぶ前なんだから知識がなくて当然じゃないかと言われそうなので弁明する。僕が理系に進んだのは、数学や理科が好きだったのに加えて、暗記科目から逃げたのだ。

社会科は暗記科目だ。時代背景やらなんやらをしっかり覚えないと点数に結びつかない。僕はそれが嫌だった。公式を理解して様々な問題を解けるようになった方が、脳のキャパを使わずに済む。理系の方がコスパがいい。そう思ってしまったのだ。

中学の時からこの持論を持っていた。だから、定期テストでは平均点ちょい上くらいさえ取れれば、さして問題ないと思っていた。その程度の点数分くらいしか勉強していなかったので、今覚えている歴史なんてほとんどない。

理系科目しかできなかった僕が入れる高校なんてたかが知れていた。市内の中でも端の方に位置する、山奥の高校。教師は自称進学校と自称しなかった。生徒の質が悪かったからだ。生徒はプライドを保つため、ウチは自称進学校だと言い張った。声高らかに言うものの中に、偏差値50を超えてる人間は居なかった。ネットでは、自称進学校なんて偏差値60超えてからのお話だと再三言われているが、彼らはフタいものにはクサをした。

そんな底辺高校では、必修の世界史Aは一年かけて世界恐慌のみを扱った。世界史の担当教師は僕たちにグループワークで調べ学習をさせて、同じ単元を擦りまくった。座学をすれば4時間もあれば終わっただろうが、終わっても次に進む気がないだろうから、困るのは先生側だ。

僕たちも、受験で使わない世界史Aはどうせ内職しかしないのだから、野放しにされていて不満はなかった。これがwin-winと言うやつか。

当時は受験勉強が控えていたから、そんな世界史でも問題なかった。しかし大学に入学して、歴史を復習しようとすると、何から手をつけていいかわからなくなった。それもそのはず。何一つ覚えていないのである。

中学校で習った歴史が、僕の中に眠る最新の知識だ。実に5年も前の、錆びた記憶たちである。中学校の教科書なんてもう捨ててしまっただろうし、今から勉強するとなると、どこかで教材を買わなくてはいけない。大人になってから義務教育を学び直すための教材はいくつもあるだろうし、中学社会から始めるべきか。

歴史の楽しさを僕は知らない。ずっと理系として生活しているから、何を目的に歴史を学べばいいのだろう。

大昔に聞いた話だが、妹はストーリーが好きらしい。どんな人がどんな状況でどんな気持ちになり、どんな行動を取ったのか。そこには人情があったりなかったり。読み取れることが色々あるそうだ。だから、妹はストーリー性に長けた歴史ならすぐに暗記できるらしい。母ちゃんが言ってた。

僕もストーリーに着目してみようか。ストーリーと言っても時代ではなく、人に着目して学んでみようか。編年体よりも紀伝体の方が、僕の肌には合う気がする。でも歴史の教科書って編年体ばかりだよな。どうしませう。

そういえばYouTubeに、黒歴史上人物をまとめた動画が上がっている。僕の好きなゆっくり解説シリーズのひとつだ。これは予備知識のない僕でも楽しめる内容だし、何よりも人ベースに、それもトリッキーな人生や政策を行った人のみが解説されているので、他の歴史系の動画よりも記憶に残りやすい。最近は見ていなかったが、これを機に再び追おう。

【続き】両親に彼女を紹介⦅20歳86日目⦆

20歳86日目の日記として書くが、実際には85日目の出来事である。そして、これを書いているのは87日目である。もうメチャクチャだな。

前回は彼女を実家に連れ込んだあたりまで書いたので、今回はその続きを。インターホンを鳴らして出てきた母に、ただいまの前に「彼女連れてきた」と言い、驚かせに驚かせた。家の中にいた父も驚いて、急いでズボンを穿いて玄関先まで出てきた。元から履いときな。狭い家なのでドタバタとしてるのが物音から伝わる。下手すると彼女にも聞かれているかもしれない。家に入る前から随分と恥ずかしい思いをするべきくらいにわちゃわちゃしていたが、あいにく僕は緊張で、感情に割く脳のリソースは不足していた。同様に緊張でガチガチだった彼女を見るに、両親のドタバタ音は聞かれていない可能性もある。というかその可能性が本筋であってほしい。

さて、両親と僕たちの計4人によるガチガチな行進は、玄関から廊下を抜けてリビングまで続いた。普段は僕と父が横並びに座るが、今日は父の席に僕が座り、僕の席に彼女が座った。彼女が僕の横に座った経験がなさすぎて、ここでもまた心拍数が上がった。これじゃあまるでご両親に挨拶してるみたいじゃないか。これが比喩じゃないんだから人生ってのはわからんな。まさか両親2人を横並びにさせて、横に女性を座らせるなんて。

僕は両親に彼女ができたことすら言っていなかったから、彼女の自己紹介では父母共に彼女の下の名前をボソボソと繰り返して、必死に覚えようとしていた。名前くらい先に僕に聞いとけよ手際悪いなぁと見ていて思った。悪いのは手際ではなく僕の報連相だという噂もあるがデマだろう。

それからしばらく雑談で根掘り葉掘り質問責めを喰らったり、ダイヤモンドゲームで僕と母の2人がかりで彼女をボコボコにしたり、僕が高校時代に映ったテレビの録画を晒されたりして楽しんだ。ほんとに楽しかったかなぁ?

18時20分ごろに、音楽イベントに出掛けていた妹が帰ってきた。何も知らない妹は、いつもの勢いで廊下とリビングの間にある扉をバァアンと開け、ずけずけと我が物顔で入ってきた。そんないつも通りな妹も、僕の彼女に焦点があった途端、足が動かなくなった。数秒固まって状況を飲み込まずにいたので、僕は左手で彼女を差しながら「かのjy」

ええぇぇぇぇ〜〜〜ッ!!!!

食い気味に言うな。驚きすぎじゃ。失礼なやつめ。

驚いたせいなのか、それとも口から前に出した息で負の加速度が働いたのか、妹はそのまま後退して自室に篭った。この後みんなで回転寿司に行く予定だったが、自分勝手な妹は行きたくないと言い張った。お兄ちゃんロスかな。僕ったら妹にも好かれてるなぁ。誰かエチケット袋をください。

仕方がないので、緊張ガチガチ行進をした仲の4人で晩御飯を食べることになった。回転寿司は昨晩4人で予約してあったので、待ち時間もそれほどかからぬまま晩御飯にありつくことができた。元々は妹in彼女outの家族4人で行くつもりだったので、4人で予約してあった。突然彼女を招いた都合で一時期は5人で晩御飯に食べる線が濃厚だった。僕は予約人数と実人数が変わることを恐れていたので、妹が来なくて内心安心した。妹には元々会いたくなかったとかそういうことでは決してないということにしておこう。

いつもは2貫100円の皿しか取らせてくれない父が、今日は2皿くっついてるやつでも1貫しか乗ってないのでもなんでも食べていいと言い出した。普段から優しい父だが、今日は普段以上に優しかった。とはいえ僕は親に素晴らしい躾を施されているので、2貫100円の皿しか取らなかった。しかし、ああ言った父に意地悪してやろうと僕の中のデビルが囁き出したため、最後の最後に1貫200円の中トロを取ってやった。僕は悪くない。デビルが悪い。僕を見た父は左頬が引き攣っているように見えたが、僕の知ったこっちゃない。100円寿司クオリティだから格別おいしいなんてこともなかったが、ここは盛大に美味しそうに、また父の心境なんて悟ってないと言わんばかりの笑顔でチュルリと食べてやった。

この後も色々あったが、文字数の関係で割愛。。。

【mission complete】両親に彼女を紹介⦅20歳85日目⦆

今日は選挙の日。住民票を実家に残したまま下宿をしている都合で、滋賀に住処を構えながらも、投票のために実家・京都へ帰ることとなった。

僕とお付き合いをしている彼女は、金曜夜から静岡まで帰り、昨日9日に期日前投票を済ましたようだ。彼女も僕同様、住民票を実家に置いたまま下宿をしているのだ。どんな言い訳を使ったかは知らないが、実家でゆっくりして行きなさいと諭す母を退いて、今日の午後には滋賀まで帰ってきた。

早起きできずに10時過ぎにに起きた僕は、風呂に入った後の11時半ごろ、朝昼兼用のご飯を食べていた。すると突然インターホンがピーンポーンと鳴った。こんな時間に来客とは一体と不思議に思ったが、ドアを開けてびっくり。外には彼女が立っていた。てっきり今日の正午あたりにこっちに帰ってくるもんだと思っていたので、驚きつつもどうぞどうぞと家に入ってもらった。

話を聞くに、こちらまでは新幹線を使って10時ごろには到着していたらしい。僕が起きるより早く滋賀に来ていたのか。彼女の行動が早いのか、僕の寝起きが遅いのか。きっと前者に違いない。

彼女が早く帰ってきた理由は京都観光だった。彼女は近畿の人間ではないので、近くの有名な観光スポットに積極的に行こうとする。伏見稲荷清水寺は、19まで京都に住んでいた僕も行ったことのない観光地だったりするが、彼女はどちらも行っている。なんなら伏見稲荷は複数回訪れている。僕より彼女の方が京都に詳しいんじゃなかろうか。

そんなこんなで、選挙で京都に帰る僕に彼女は着いてきた。今日の彼女は観光地を回る気はそこまで高くないようで、大都市の大きいショッピング施設をウロチョロしながら財布を探していたようだ。結局いいのは見つからなかったらしい。

その間僕は散髪をしていた。下宿先の床屋をまだ探索できていないので、京都に帰ったタイミングで、いつもお世話になっているところに駆け寄って、「いつもの」と言って切ってもらう。前回に帰った春休みから3ヶ月ほど期間が空いて伸び切った髪の毛たちを京都に散らかしてから、実家に帰った。

床屋に寄ったあと、直接実家に帰ったわけではなかった。実家の近くにあるイオンに立ち寄り、彼女と合流した。店の大きさに圧倒されていた彼女の様子が可愛らしくて仕方がなかった。僕はよく通っていた本屋さんを紹介しつつ、案内して回った。

彼女は既にぐるっと一周回っていたらしいので、書店を案内して雑貨屋さんを1つ覗いてすぐ、イオンを後にした。外に出てしまっては、次に行く場所はひとつ。実家である。僕は彼女の手を引いて実家に帰った。

家族には「彼女を連れてくる」なんて言っていなかった。うちの家族は僕に彼女なんてできるはずがないと思っている節があるので言わなかった。また、僕は他人に自分の話をしたがらないタチなので、小っ恥ずかしい話題を自分から出すはずもなかった。

実家の鍵を持っているので、いつもなら鍵を開けてずけずけと入る。気心知れた両親が相手なので家に入ってからただいまの挨拶でも遅くない。しかし、今日はそうすることができなかった。彼女を勝手に室内に入れるわけにはいかなかったからである。

というわけで、人生ではじめて自分の家のインターホンを実用的に使った。緊張でガチガチの彼女はインターホンのカメラに映らまいと、横にずれたところでガチガチに固まっていた。

ドアが開いて出てきた母さんにただいまというより先に一言。

"彼女連れてきた"

めちゃくちゃ驚いていた母さんだったが、すぐ我に返って、どうぞどうぞと僕たちを招き入れた。パンイチの父さんも家の中にいたが、人の気配を感じて急いでズボンを履いたらしい。彼女の目にパンツ一丁の50代後半にもなる成人男性が映ることはなかった。

 

この後は自己紹介をして、晩御飯を一緒に食べたりいろいろあった。妹と彼女の対面だとか、食後の運動に行ったボウリングで過去最高点を叩き出したとか。まぁいろいろあるのだが、長くなってしまったので続きは明日書く。20歳85日目の日記を85日中に出せなかった。また、1日の日記を2日に分けて書くことも反省。

好きなことなんてできない⦅20歳84日目⦆

午前中は10時からサークル活動の一環で大学にて清掃活動をしていた。大学の最寄りのバス停を雑巾片手に磨いていた。正午を過ぎたあたりで天気が崩れ始め、雨こそ弱いものの雷が鳴り止まなかった。

13時まで行われる予定だった本活動は悪天候によりお開きとなった。とはいえ、片付けや諸々をすると13時半を過ぎてしまったので、結局は活動時間いっぱいまで大学内にいた。

家に着いたのは14時。そこからはずっと家にいた。外では雷が激しく鳴っていたし、時間帯によっては雨も非常に強まった。雷が極端に嫌いな僕は、少なくともゴロゴロなっている間は部屋の中でゆっくりしていようと心に決めた。

生活をしていると買い物やゴミ捨てを避けることはできず、16時を過ぎたあたりで、雨天お構いなしに外に出た。市指定のゴミ袋や食品を買って、雲が帯電する前に帰ってきた。靴下を履いてもどうせびしょ濡れになって不快な思いしかしないと思い、スーパーまではサンダルで出かけた。

家から近いとどうしても、ラフな格好で行くことに対する抵抗がなくなってしまう。他人から見てTPO的によろしくないと思われる可能性もあるので気をつけようとは思っているが、自己利益を優先してしまう。

突然ながら脱線話をするが、TPOをはじめて知ったのはいつだろうか。TPOの意味はみなさんご存知だろう。TはTime、PはPlace、OはOccasionのことである。(occasionってc2つなんですね、初めて知りました。)つまりTPOは、時場所時間の英字頭文字を取っていて、それらを考慮した服装や言葉を選ぼうという考え方である。僕がこの言葉を知ったのは小5の家庭科だった。服装について学んでいるときに教科書に出てきたのをよく覚えている。僕と同じタイミングでTPOを知った同級生も多かったらしく、なぜか少し流行ったのだ。僕がこの言葉を学んだときには服装に限った状況を想定した言葉のように教え込まれたため、時間に対してこの言葉を使えると思っていなかった。

時は流れて高校生になった僕は、TPOを時間に応用した用法をよく目にすることとなる。行動範囲が広がり、さまざまな場所へ行くようになる年頃だからなのか、TPOを弁えた行動をしましょうと、担任や学年主任からお話いただく機会が増えた。

時間については使えない言葉だと思っていたから、この用法には強い違和感があった。もちろんのことながら、TPOが語源的に時場所時間を表していることはとっくの昔に学習していたので、意味を理解することはできた。しかし、服装に使うべき表現を他に応用すべきでないように感じた。

ある学問分野で他の学問分野の専門用語が使われることがよくあるが、他の学問分野に精通していると、ある学問分野でその用語を聞いたときに、どこか引っかかることがある。これが、今回のTPOでも起こった。

この件を通して、僕は小学校5年生向け家庭科の教科書におけるTPOの解説を変更してほしいと静かに願っている。服装以外にも広く一般に通じる言葉なら、服装に限定した用語だと教え込まれたくなかった。また、一般用語としてあるのならば、家庭科の教科書に載せるのではなく、先生の口から補足的な形で聞きたかった。

思ったよりも話が大きく脱線してしまった。脱線先に強靭な、本線とは異なるレールが敷かれていたのだろう。これだけ話がブレたのは線路が悪い。僕は悪くない。

というわけで切り替えポイントを経て本線合流。話を戻そう。

TPOをわきまえなかった僕はこれ以降外出をせず、隠居生活に精を出している。僕は家を出ないのに。活力が家を出ていったのだから、当然のように僕はベッドの上でだらだらしている。そして気づけば23時だった。時間の経過が早すぎて恐ろしい。夏らしいホラー話に仕上がったな。

結局、家の掃除も課題もお菓子作りも何一つ手をつけず、体を水平に保っていた。そのときになるまでは有意義な時間にしようと色々考えたものだが、全ては水に流された。僕の気力は雨で洗い流されてしまったのだろう。そうだ、そうに違いない。

あしながなが⦅20歳83日目⦆

【惚気注意】

あしながながをご存知だろうか。

これは彼女が僕に送ってきたメッセージだ。そんなんわかるかいなと思われるだろうが、このメッセージの意味は誰でも解くことができる。内輪ノリの延長線上ではない。

このメッセージの真意を知るためには、いわゆる教養というものが必要になる。

教養とはなんだろう。コトバンクより、精選版 日本国語大辞典の教養の項から②の意味を引用しよう。

学問、知識などによって養われた品位。教育、勉学などによって蓄えられた能力、知識。文化に関する広い知識。

これが教養ってやつらしい。学問や知識、文化など、さまざまなキーワードが見つけられる。"あしながなが"を理解するにあたっても、これらのキーワードが文字通り鍵を握る。

まずはじめに学問。今回の"あしながなが"に深く関わりのある学問ジャンルは国語だ。その中でも古典のジャンルと密接に繋がっている。中学あるいは高校の古典を思い出してほしい。"あしながなが"に近いフレーズは見つかりそうですか?

次に知識。"あしながなが"はひらめきパズルの類ではない。古典の知識を知っておく必要がある。今回必要な知識は小倉百人一首だ。ここまでこればピンと来る人はもうきたのではないだろうか。ピンと来なかった人は、多分解けない。さっき言った通り、ひらめきパズルじゃないからね。

文化的な観点は今回は少し不要かもしれない。しかし、文化を知ることで"あしながなが"の歌がどのような歌なのか、理解を深めることができる。またその理解から、彼女と僕がどのようなやりとりをしているのか、僕たちがどのような状況に置かれているのかを推測し、情景を浮かべることができる。

答え合わせといこう。今回の歌はこれだ。

あしびきの 山どりの尾の しだり尾の

長々し夜を ひとりかも寝む

今はまだ秋ではなく、これから夏本番の暑さを控えた7月の上旬。この句の"長々し夜"はまだ少し先である。季節感としてはマッチしていないが、情景としては今の僕にぴったりだ。

いつだかの日記にも書いたが、彼女は7月10日の選挙のために帰省中だ。そのため今夜は僕ひとりで寝る。一人暮らしを始めて半年経つが、いつも彼女と寝ていたせいで、ひとりで寝ることに慣れていない。寂しい気持ちを押し殺せずにいる。まぁ、今日は特に一人でいたくない。世間では悲しい事件が起こったからね。

そんな寂しい夜も、寝てしまえば一瞬で過ぎ去るんだろうけど、寂しい気持ちを持ったまま寝るのは難しい。暗くて怖くて廊下でさえも歩こうという気にならないし、寝てしまうこともまた怖くてできない。目をつむると、暗い世界に落ちていく気がする。暗い怖いは昔から嫌いだ。

どのような文として彼女から"あしながなが"が送られてきたのかも示しておこう。状況は上にも述べた通り、彼女が帰省して僕は孤独に寝ることになったといった感じだ。彼女が故郷へ帰るための電車に乗り、もうこちらの地方にはいなくなった辺りで届いたLINEに、"あしながなが"が現れた。

二日間の「あしながなが」頑張ってくれ。
10日すぐ会いに行くから。

君なら伝わるだろう。そう言われている気がした。実際、僕には伝わった。

僕は百人一首をほとんど覚えていないが、彼女は全て覚えている。彼女は時々このようにして、僕に百人一首との接点を作ってくれる。そのおかげでいくつかの恋歌は覚えているのだ。

今回引用された歌は、以前に何回か触れたことがあった。"あしながなが"と略したこともあったので、それほど時間をかけることなく、LINEの意図を汲み取れた。

彼女は僕に惚れられていることをよく理解している。僕が"あしながなが"になると確信しているくらいには僕の愛情をしかと受け止めてくれている。ありがたいものだ。

僕が彼女に常に注ぎ続けるなんてのは当たり前のことだが、彼女に僕の愛情を当たり前のものと思われてしまっては癪だ。少しはレアリティを感じてほしい。僕は好きな人に好かれる経験が今までなくて、拗らせちゃったのかな。

うまく使えぬひとりの時間⦅20歳82日目⦆

普段は忙しい忙しいと書いている僕だが、今日ばっかりはひとりの時間ができた。というか、明後日も僕はフリーなようだ。

僕のタイムスケジュールは、大学と教習所と彼女の三点で構成されている。平日の場合、午前中は大学に束縛され、お昼どきから日が暮れるまでは教習所で教官とドライブデートをし、夕暮れ以降は彼女とだらだら。空いてる時間も家事で埋められ、自分の時間らしい時間はほぼない。

今日も17時まではテンプレに沿って活動し、17時過ぎに彼女邸にお邪魔した。彼女は僕に一言も声をかけず、忙しそうに家中を駆け回る。ワンルームなので、駆け回ると言っても円状ではなく線状だったが。結局「腹減ったら先食べとけ」とだけ言い残し、すぐにアルバイトへ出掛けていった。寂しいものだ。

そして今に至る。バイトの終わりは22時を超えるため、4時間ちょっとの空き時間。どう始末してやろうか。

ここが自分の家ならば、自動車学校の学科講習をオンデマンド受講するところだろうが、あいにくここは彼女邸。自動車学校がらみのことはできなさそうだ。

次に思い浮かぶは課題。メカ系の学科なので機械要素の授業や製図の授業で課された課題がちらほらあるので、それをこなすのも一つの手だ。また、数学や物理だって、課題が出ていなくとも勉強せねばテストで痛い目を見る。教科書やノートを見返すと良いだろう。しかしこれまたネックになるは、ここが僕の家じゃない点だ。ここにはそれらお勉強に必要な教科書ノートの類はなく、あるのは明日の授業で使う分だけ。しかもこれらは大した課題やテスト対策を必要としない者たちだから、特に触れるようなものはない。

彼女、車校、大学。忙しいの三原色が失われて、僕のスケジュール帳は白紙となった。

スマートフォンに入っているいくつかのゲームも、少しやりゃすぐ飽きちゃった。ああいうのは忙しい時に背徳感を愉しみながらするものだ。今の僕には合わない。

かくして、僕は暇になった。忙しい時ほど自分の時間が欲しくなるが、いざ手に入るとこんなもんである。

確か次の土曜日も、自分だけの時間が手に入るそうな。休日に僕を支配するものは自動車学校と彼女とサークル。確か午前中はサークルの関係で大学に行かなきゃいけなかったか。おお、めんどくさいけどやることができたのは少し嬉しいぞ。

問題は午後。午後はいずれもが相手をしてくれない。自動車学校は来週の水曜日まで予約が取れなかった。彼女は7月10日の選挙で里帰りのため、金曜夜からいなくなる。

1人になったら読書をしよう。お菓子づくりをしよう。数学をしよう。色々と夢は膨らむ。しかし当日はこれらの全てを行わず、ベッドの上で眠りほうけるのだろう。布団の中で夢膨らますのは今もその日も変わらぬことよ。

忙しい時は休暇を欲しがるくせに、いざ暇になったら何もできないのはなぜだろう。お前が怠惰なだけだと言われても悲しくなるのでそれ以外の原因を考えてみよう。

一つは、疲れているからか。疲労が溜まって趣味まで手が伸びないのかもしれない。だからだらだら布団にくるまってしまうのだ。納得納得いや待てよ。これだけじゃあ布団の中でYouTubeを観てしまう理由の説明がつかない。疲れてるのなら眠りにつけばいいものを、なぜかスマホを覗き込んでしまうのだ。覗き込むということは、疲れ以外の説明が欲しい。

二つ、自分が楽しみたいYouTubeが普段から追えていないことが原因か。というのも、僕はいくつかのチャンネルを登録していて、普段から追っている動画シリーズがいくつかある。ポケットWi-Fiこそあれど、YouTubeを外で見るハードルは高く、大学の休憩時間は交友関係の円滑化でおしゃべりをせでばならない関係で、忙中閑ありの閑では消化できない。これらを寝る前のひとりのタイミングで見ようとするから、疲れも溜まるのか。

そういえば皿洗い中にYouTubeを流したりしているな。たしかに消化は追いついていないのかもな。