ぺだんの日記

日々の出来事や思ったことを色々書いていこうと思います

中途半端な者だけが残る⦅20歳62日目⦆

高校の頃所属していたテニス部には、同学年の部員が自分を含めて21人いた。はじめはみんな切磋琢磨し、がんばろう的な雰囲気を醸し出していた。そんな空気の半減期は1ヶ月と言ったところだろうか。半年も経てば部員全員、そんな温かい空気など、とうの昔に捨てていた。

どこの部活動にもありがちな話だが、部員は顧問を嫌いに嫌う。顧問を嫌う理由はその顧問によってまちまちだろう。僕の部活では「理不尽」が顧問を嫌う第一要因だった。

もう遠い過去のことなので、どんな理不尽をされたのかなんて全く覚えていない。確か、されたというよりは言われただった気がする。顧問は相反することを言って僕たち部員を困惑させる能力の持ち主だった。スタンダードの二刀流だったのだ。

余談だが、その顧問は、顧問としては理不尽だが、教師としては優しかった。保健体育の先生で、僕が2年の時の保健は顧問が担当してくださったのだが、部活の時とはかけ離れた人格の持ち主だった。たぶん、人格も二刀流だったのだろう。

話を部活に戻す。顧問が嫌いという心象は、退部をすれば解決する。もちろん、好きなスポーツからは離れることになるので、そう思い切りのよい判断が下されば苦労しないというものではあるのだが。

僕のように判断を保留し惰性で部活を続ける仲間は何人もいた。一方で、英断した友達もいた。英断はイギリス横断ではなく、英雄チックな判断の方である。

英断した者はみな、高校生活を謳歌していた。少なくとも、不満を抱えグチグチ言いながら続ける部員よりは楽しげに過ごしていた。

最終的に同学年の部員は14人になった。初めの1/3は、冷静に賢明な判断を下せたのだ。やる気のあった1人(部長)を除くと、全員が小心者だった。なぜなら、残った僕たちには退部に踏み切る勇気がなかったからだ。

部長を務めた彼も、はじめは小心者側だった。しかし、彼は他人よりもテニスが上手だった。顧問には気に入られていた。練習が終わるといつも彼だけが、顧問に支給されたプロテインを飲んでいた。彼は顧問のお気に入りだったのだ。彼は次第に顧問の愚痴を言うことはなくなり、従順な人になっていた。テニスが上手だとテニス部内のヒエラルキーは当然高くなるので、誰も彼に歯向かうことはしなかったが、個人的によく思っていなかったのは僕だけじゃないだろう。

これらのことから、僕は2つのことを学んだ。1つは、立場が人間を形成するということだ。上に述べた彼は顧問のお気に入りの座にあぐらをかき、部長の椅子にも座った。彼は立場や役職によって、こちら側の人間ではなくなった。彼の性格ではなく、立場のせいでだ。

もう一つは、判断力の優れた者から退部するこということだ。賢い者は的確に居場所を見極める。しまいには、やる気のない愚か者だけが残ったのだ。