ぺだんの日記

日々の出来事や思ったことを色々書いていこうと思います

メンタルの強さは環境依存⦅20歳48日目⦆

最近、他人からの評価がやたらと気になる。「誰某と僕では誰某の方がウケが良さそうだなぁ」といった不確かな憶測ですら、見過ごせなくなってきている。

もちろん、僕だけでなく人間誰しもが嫌われたくないと思っているだろう。人間は社会性を持つ生き物なので、自分を悪く思う人が複数いると、社会においてものけものにされる。人間の性としても、できる限り好かれたい。

余談だが、人間が社会性を持つから社会があるのではなく、社会があるからみんな社交的に振る舞っているのだと僕は思っている。社交的でなくても生きていけるなら他人との関わりは減らし、仲間内だけで生きていくものなのではないだろうか。と、社交的でない僕は思う。まぁ、卵が先か鶏が先かな話なので、答えはわからない。

世の中には、嫌われても気にしないと言う人が一定数いる。しかし、そういう人はほとんどの場合、表立って嫌われたことのない人か、特別にメンタルが強いかの2択だ。今回は前者について、深く語りたい。

前者のパターンに該当するT先輩は、僕が高校時代に所属していたテニス部で部長をしていた。彼は誰よりも運動神経が良く、顧問にもよく懐き、一見は誰からも慕われていた。もちろん彼と馬が合わない人は存在するので、彼を苦手に思う人はいただろうし、僕も人間的には彼が苦手だった。しかし、上に述べた社会性のお陰で、僕は彼にそう思っている素振りは一切見せなかった。彼からすれば、部員全員が従順な家臣だっただろう。

彼は持ち前のリーダーシップについて顧問に語らされた時、「嫌われる覚悟で積極的に行動すべし」という1つの回答を示した。これに僕は納得しなかった。

彼の周りにイエスマンしかおらず、彼の行動に異議を唱える人はいない。つまり彼の中には、何かをしても嫌われないという保証があった。そりゃあ嫌われる覚悟はすぐ決まるし、積極的に行動できるに違いない。彼のリーダーシップ論は何の参考にもならなかったが、彼の生き方は垣間見れた。彼目線では、本気で嫌われたことがなく、少数に嫌われてもその他大勢が救ってくれて何ひとつ不自由なく生活できるため、嫌われるということをよく理解していないのだ。つまり、境遇の良さで嫌われる覚悟を持っている。僕がこれだけ苦悩しているメンタルが環境で強く育つなんて、羨ましい限りだ。