ぺだんの日記

日々の出来事や思ったことを色々書いていこうと思います

第二段階になってもクラッチが雑⦅20歳74日目⦆

今日も自動車学校に行ってきた。授業の都合でたった1時間のドライブだったが、収穫の多い教習だった。

仮免許を取得してからは毎回公道へ出てオジサマやオネエサマからありがた〜いご教示をいただいているのだが、今回は比較的若めの(と言っても50手前に見える)男性教官に教わった。あたりハズレなんて考えるのも失礼な話だと承知の上で言わせてもらうと、この教官は普通中の普通。特に得意でも苦手でもない雰囲気の教官だ。

なおこれは僕の中の絶対的な評価の話であって、自動車学校内の相対的な評価ではない。

上に書いた通り、自動車学校は年輪多重保持者の巣窟である。年季の入った方々は口調や態度が荒く、教えてんだから偉そうにさせてくれと言わんばかりの図々しさである。彼らの絶対評価は大抵が最低。簡単のため5段階評価で表すと、彼らオジサマの絶対評価は1だ。

ここに、今日僕の面倒を見てくださった、絶対評価3の教官を放り込むと、評価値が急にインフレする。好感度をグラフ化して比べるなら対数グラフ不可避だろうってほどには、オーダーから評価が異なる。5段階評価換算するから値は2しか変わらないが、この2の差は相当大きい。

さて、絶対評価1の皆々様の集団に一人、3の人間が入ると、相対評価は凄いことになる。絶対評価1のオジサマは当然1のまま変わりなし。一方で絶対評価3の教官は相対評価の世界では、圧倒的FIVEに君臨する。絶対評価こそ3だけど今すぐ玉座を用意致しましょうか。

自動車学校内には若い教官も2名ほどいるので、今回の教官が校内一位というわけでもない。しかし若い衆は教官指名制度を利用する教習生に引っこ抜かれがちなので、僕の担当になってくれることは少ない。一応若い女性教官もいるが未だに1度も当たってない。卒業までに全教官と一回は当たってみたかったが、この目標は未達成のまま卒業するだろう。

このように未だに教わったことのない教官もいるので、相対評価は未だリアルタイムで変動する。それでも歴代に受けた教官の暫定的な評価位置がそう大きくズレることもなさそうなので、あたり教官とハズレ教官の見分けはつく。

絶対評価3の教官。彼は、今日の教習を受け始める時は、あたりでもハズレでもない標準教官を引いたなーくらいの感覚でいたが、実は大当たり枠なのではないかと教習を受けながら考えていた。しかも若いのに比べれば些か歳を重ねすぎているので、他のあたり枠に比べれば排出率は高い方だ。あたり度と排出率の積で求まるコスパ係数を算出すれば、おそらく彼が1位になるだろう。

そんなコスパ1位で絶対評価星5の彼だが、嫌味を全く言わない点で言われたことを素直に受け止めようという気持ちになる。彼に言われたのなら深く受け止めてしっかり改善してやろうと思える。だからこそ、今この段階に来て、クラッチ操作について言及されたことにひどく落ち込んだ。

車がガックンガックンしてる自覚はあります。確かに乗り心地はよろしくないです。えぇ、わかっていますとも。私の運転する車に乗ってる時間が一番長いのは私ですから。

でもよりにもよって、第2段階に上がって一番はじめに言及してくださるのがあなただなんて。…まぁ完璧な運転を目指すにあたってはいずれ忠告されることだろうから、早いうちに、それも心から受け止められる教官から言われたことに関しては救いなのかも知れない。

教習所には丁寧に教えてくださる教官なんて片手の指より少ないんだから、できればノンストップで卒業してしまいたい。今回の進言は真摯に受け止め、さっさと去るための糧としたい。

「お金足りないから国が補助」は違うのでは?⦅20歳43日目⦆

英語の授業でプレゼンテーションをすることになった。トピックは何でもよい。ただし、自分の身の回りのことを話せという制約だけがついた。

僕は自動車学校について書くつもりだ。現在進行形で通っているし、普段から日記にも思うところを書いている。話のネタは多い。

自動車学校に対する数多のクレームを叫んで終わりとするでも良いのかも知れないが、せっかく話すのだから、一つのことに重きを置いて意見をしっかり述べよう。というわけで、今回は「自動車学校の入校費用」についてプレゼンをするつもりである。

みなさんの地元は入校料としておいくら万円ぶん取られるだろうか。地域によってさほど差はないと思うのだがどうだろう。オートマとミッションの差だったり割引の適応加減だったりで多少の増減はあるだろうが、僕のところは概ね30万円ということで通っている。昔もこれくらいだったのかな。

この金額設定を高いと見るか低いと見るか。人によってまちまちかも知れないが、僕はこれを高いと見た。多くの人は共感してくれると思っている。

就職活動をするにしても友達付き合いにしても、自動車免許は強みになる。最近の若いのと貶される我々世代は自動車免許の取得率が多少低いという話もあるが、それでも社会に出て仕舞えば、大体の人が持っていて然るべきライセンスといった風を感じる。おそらく、最近の若いのはと貶す世代の免許取得率はかなり高いものと思われる。

誰しもが持っておくべきとされるライセンスであるにもかかわらず、30万円もかかるというのは如何なものだろう。誰しもが持っていて当たり前のものは敷居が低く設定されていて当然だと僕は思う。義務教育が良い例だ。社会に出て必要とされるスキルは(無償とまでは言わないが)容易に手に入らなければならない。

さて、こんな内容を英語でプレゼンしようと思い、日本語で書いた草案を宿題で提出した。主張は「自動車学校の入校費用は10万にするべきだ」である。

これを見た日本人英語教師からこんなことを聞かれた。このトピックの主語は何ですか、と。僕は自動車学校学校だと答えた。教師は納得しなかった。教師は続けてこう聞いた。国が補助を出すべきなのではないですか、と。

僕はそうは思わない。この手の話をすると、国が金銭的補助を出すべきといった結論に落ち着きがちである。しかしこれでは、補助を出す国へお金を支払うのは誰ですかという話になりかねない。そりゃそうだ。今までお金を配ってなかった分野へ新たにお金を出すのだ。今のままでは借金一択。他の財源を掘り出すか、他所への予算を減らす必要がある。

もちろん今回の話で言えば、自動車免許は国家資格だから国が補助金を出すべきという考えは正しいのかも知れない。けれど、この教師はそういった方向性で考えてるわけではない様子だった。上に言ったような、補助を出す国はどこからお金を見つけるべきかの議論をすべきではないかと質問をしたところ、教師は思わぬ角度から反論してきた。

あなたが国からの補助金を必要に感じたならそう主張すれば良い。国がどうするかはあなたの考えることではない。

──だそうだ。納得いくだろうか。

僕はこれに賛同できなかった。僕にはどの考え方が正しいかなんてわからない。しかし僕には教師の考え方が、あまりにも無責任なものに思えた。

国が国民のためにお金を出すのは当たり前。だからといって役所を奴隷扱いして良い理由にはならない。

すごい会社が講演に来た⦅20歳72日目⦆

大学の特別講義で県内の製造業を営む企業さんが招かれた。イカした企業すぎたので、とても印象に残った。

一応企業名は避けるが、本日記を書くにあたって講演してくださった会社様の特徴を書くことになるので、どの企業かは調べればすぐに出てきてしまうだろう。そういったことも配慮して色々ぼかしながら書くべきなのかも知れないが、そうするとあまりにも抽象的になるので、今回は細かいことは気にせずに書こうと思う。企業名が気になったら各自で調べてください。多分すぐ出てきます。

講演に来てくださった企業は、曲面印刷の機械を作っているそうだ。どん兵衛の外枠やプラスチック容器のロゴ入れをするための機械が主力商品で、国内における曲面印刷機シェア率は90%にも上る。プレゼンターによると国内で見かける曲面プリントは全てウチの機械が担っていると思ってくれていいとまで言っていた。見たことのある商品にも弊社の使われているなんて、さぞ誇らしいことだろう。この企業に魅力を感じないほど僕のアンテナは腐ってなかった。

この手の企業は活躍こそすれ、世の中に名前が知れ渡ることはほとんどない。有名な工学系企業のいくつかはラジオでコマーシャルを流しているが、ほとんどの企業はそうではない。企業としても、BtoB商材がメインなのに顧客へ宣伝するメリットはない。技術力の高い企業は世の中に名が知れ渡るべきだと強い思想の元で世の中が回っているわけではない。残念ながら無名な企業だ。それでも僕は、縁の下の力持ちな企業として応援したい気持ちでいっぱいだ。

すごく興味のある分野であり、さらに僕が大学で学んだことを活かせる企業なので、内定がもらえるとかなり嬉しいだろう。だけど、僕はこの企業には行きたいとは思わなかった。

理由の1つは、本会社の立地である。この企業は随分と田舎なところに位置しており、中小企業なので支店もない。単身赴任すりゃええやんと思われるかも知れないが、僕は大学卒業の後には彼女と同居を始める気でいるので、一人暮らしをするわけにもいかないのだ。

以下はは教授と面談をしている時に聞いた話だ。その教授がよその企業さんの人事課から聞いた話だ。又聞きがすぎるので信憑性が著しく低い話になってしまった。まぁ書こう。

子曰く、最近の若い子たちは就職先の選び方が変わってきているのだそうだ。昔の就活生に比べると今の子はとにかく転勤を嫌う。この地方から出たくないですだとか、このブロック内で志望しますなどを面接時に言う学生さんも多い。プライベートを犠牲にするような働き方をする時代はもう終わりなのだ。しらんけど。

僕もこの考え方は強く持っている。故に、転勤は嫌だし家から通いやすい企業がいいし通勤も楽だと助かる。大都市圏にアクセスしやすいところに家を構えることを考えると、この会社は僕の理想に合わなかった。

僕が入社したらばおそらく設計の仕事に就くことになる。つまりはパソコンカタカタがメインなので、リモートワークに全振りできるようならば入社したいの一言に尽きる。それだけ魅力の詰まった企業様だった。

また、給料がいい。製造業の平均初任給は18.5万円らしいが、この会社は脅威の22万2千円だそう。ただし個人の出来で賞与が揺れるため、その先伸びるかは本人次第だそうだ。とはいえ、初めからかなり高い金額をいただくことができる。さらに大学院生なら初任給24万。やはり院生は学部卒とは比べられない差を持ってスタートを切れる。院行きたい。

600円のカードゲーム⦅20歳71日目⦆

昨日の日記で書いた焼肉屋を出た後、21歳の誕生日を迎えた主役の彼と別れ、歩いて家に帰った。余韻に浸っていた僕は、まだ22時過ぎなのに帰るのがどこか勿体無く感じてしまった。帰路の途中にある本屋さんへ寄った理由はこれだった。

県内最大級を謳っているだけあって、田舎特有の広さとかなりの蔵書数を誇っている。しかも24時まで営業している。いつもは大学の帰りに自転車で寄るのだが、今日は歩きで時間も遅い。いつもと違う特別感がまた楽しかった。

本屋に来て本を漁るのは誰もがするが、僕が本屋に期待しているのは本よりもボードゲームだった。意外と知らない人も多いようだが、ボードゲームは本屋さんにも置いてある。むしろ、本屋か電気屋さんにしか置いてない。本屋はボードゲームプレイヤーにとって重要なのは販売元の1つなのである。

直近で来たのがつい数週間前だったので、品揃えがガラリと変わっていたりコーナーのレイアウトが変わっているということはなさそうだった。前回来た時にも当然ボードゲームはチェックしていた。だから特に気になる商品はなかった。

しかしその時の僕はちょっとしたお祭り気分だった。親友とご飯を食べてテンアゲだし、時間が時間なので熱も冷めない。それに、いつも入店する時と違い、今日は連れと2人で来ていた。そんな状況に煽られて、ふと何か買いたくなってしまったのだ。

それで買ったのが『恋文』というカードゲームだった。パッケージには『5分で味わう心理戦』とあった。どうやら短期決戦型のゲームのようだ。この手のゲームはプレイ時間が長ければ長いほど内容が複雑になってしまう。難しいゲームなら手を出す気にはならないが、このゲームなら試す価値がありそうだ。

僕とその子は趣味が似ている。そのおかげか、ハマるボードゲームの系統も似ていた。ゲームルールが複雑で難解なものが苦手な癖に心理戦や頭を使った奥の深いゲームは好きな、厄介なオタク詰め合わせセットみたいな趣向をしている我々にとって、このゲームがハマらないわけがなかった。

財布には野口英世が3人しかいなかったが、買わずに惜しんでも仕方ないと自分に言い聞かせ、テンションの慣性でレジに突っ込んだ。持ち金の1/5がカードゲームに変化したが、死にはしないと信じている。

さて、家に帰り連れとプレイしてみることにした。プレイ人数は2〜4人、プレイ時間は5〜10人。使用するカードは全部で20枚。触れ込み通りの時間設定と奥の深さを持っていそうな感じだった。ルールもさして複雑ではなく、数回のデモプレイですぐに慣れた。時間に関しては5分もかからなかったが、これは2人でプレイしたせいか。

感想を言う前にまずルールを説明すべきなのだろうが、今までにやったことのない系統のゲームだったので、概要を示すのが非常に難しい。伝わらない覚悟で説明しよう。

互いに手札を1枚持った状態で始め、自分の手番が来ると山札から1枚引いて、任意の1枚を捨て札にする。この時、捨てた肌に描かれている効果を発動し、そのアクションによっては相手を脱落させることができる。最後まで脱落しなかった人の勝ちとなる。

ルールを知る僕が読んでもよくわからない。だけど似たゲームを知らないので、『あとは各自でプレイしてみてね!』としか言えない。

複雑なカードゲームが苦手な僕も十分楽しめるゲームだった。心理戦とはまた違った奥深さがあったので、是非とも体験してほしい。

 

 

 

親友21歳の誕生日⦅20歳70日目⦆

僕がこの日記を書きはじめたのも、誕生日の日からだった。20歳という節目の年を迎え、何か新しいことを始めてみたいと思ったのがきっかけだった。具体的なことはまた別の日に話そうと思っているので、今は深掘りしないでおこう。今日書きたい内容は、友達の誕生日のことだからだ。

彼の誕生日が6月25日だと知ったのは数週間ほど前だった。LINEが誕生日の近い人を自動でピックアップしてくれる機能のおかげで知り、そのタイミングで、誕生日は彼を祝おうと決めた。

彼とはよく食べに行く仲だったので、彼の誕生日も何か食べに行こうということを彼に提案した。僕は人にサプライズやプレゼントをするのが苦手なタチなので、正面切って何が食べたいかをLINEで問うた。彼は焼肉と答えたので、近くの牛角でお誕生日おめでとうパーティ的なものが開かれることとなった。

パーティといっても、大人数を呼ぶようなものではない。彼と僕の他にもう1人いるだけだった。少人数を寂しいと捉える人もいるだろうが、あいにく僕が呼べる人はこれだけだった。彼が不満を感じていたら申し訳ないとつくづく思う。

僕と誕生日の彼ともう一人の女子で構成されたこの3人組が、僕たちのイツメンだった。この他に人を呼んでも(悪くはないだろうが)いなくてもいいななどと思ってしまいかねないので、この3人で誕生日を祝い祝われたのがbetterなのかも知れない。

牛角は初めて入った。大学に比較的近く、自転車通学の人が多いことを考えるとアクセスも悪くない。いくつかのサークルでは、ここの牛角を打ち上げの第一候補にセッティングしていたりもする。

みんながあったことあるが僕はない店の存在は、どことなく引け目を感じる。そんな理由から、牛角はいつか絶対に行きたい店の一つだった。彼の誕生日会として行くのに僕の都合を通すのも褒められた所業ではないが、僕はこの店を提案した。

待ち合わせの18時半に牛角へ行った時にはもう彼は着いていた。夕暮れまで僕と彼女は予定が入っていたので到着時間が予定時刻と同時だった。本会の主役でもないこちらの都合をいくつも彼に通している感じがして、本当に申し訳ない。

店に入って店員さんに空き状況を尋ねると、17時半まで時間を潰してくれと言われてしまった。実に1時間である。予約をすべきだったと気づいたのはこの時だった。つまり手遅れというわけだ。

空いていないというなら仕方のないことといえばそうなので、コンビニやスーパーを徘徊しながら時間を潰した。この後焼肉を食べることが確定していたので、時間やジュースを買う事ができず、ただただ本当に徘徊していた。しかしそれも45分を過ぎると流石に空腹も限界を迎えた。僕たちは3個入り風船ガムを買い、時間が来るまでずっと噛んでいた。なぜよりにもよって満腹中枢が刺激されやすいガムを買ってしまったのだろう。この謎を解明すべく、我々はアマゾンの奥地へと向かった──。

とまぁそんな感じで時間を潰し、19時半の5分前に焼肉屋へと帰ってきた。お腹を空かせて死にそうな我々を20分待たせたのちの19時45分。遂に席に着くことができた。

4500の食べ放題コース×3を注文し、僕たちは肉を焼き続けた。乾杯も忘れて、必死に肉を食らった。燃え上がる真ん中の炎のように、勢いよく肉とご飯を食べたが、50分で箸は止まった。

明日は水しか飲まないだろう。

人望なし⦅20歳69日目⦆

たまには日記らしく、今日の出来事を書こうと思う。出来事があればそれについて書きたいと毎日のように思っているのだが、僕の人生は平坦そのものなのでらなかなか書くほどの事が起こらない。まぁ、僕の自己満で書いてるブログなので、日記だけじゃなくても良いじゃない。そう思ってんならタイトル変えろって話なんだけどね。

本題に入ろう。今回はサークル活動について話す。僕は生協の学生委員会に所属していて、毎週金曜日に活動している。その活動の一環で、「リリパックの回収」を行なっている。

みなさんはリリパックというものをご存知だろうか。リリパックとは、リサイクル可能なプラスチック容器である。弊大学の売店で売られているお弁当はこのトレーが使用されていて、これを回収して然るべきところに郵送すると、リサイクルができて世の中いい感じになるらしい。この容器の回収を、サークル活動として毎週金曜日に行っているのだ。

生協学生委員会という組織は多くの大学に置かれている。みなさんが通っている/通っていた大学でも、この委員会の名のもとに活動する人たちがいるのではないだろうか。生協学生委員会の活動を知ってくれてると、僕もなんだか嬉しいな。

我々は、学生の生活を豊かにするという目的を持って活動している。食堂や売店でイベントを催したり、新入生向けに説明会や交流会を開いたり。イベントの多くは、参加者はもちろん、主催側も楽しく、また側から見ても楽しそうに見えるので、微量のやる気だけを持って入部してくる新入生は多い。

楽しい企画屋さんならそれでよかったのだろうが、我々はそうではない。実は、生協学生委員会大学生協の一組織であり、部活でもサークルでもない。とはいえ、今日の日記冒頭の本題に入った箇所のように、多くの場で便宜的にサークルを自称している。

実態として我々は、サークルや部活よりもお堅い組織であり、お堅くあるべき組織なのだ。でもそうと知らず入ってくる学生も沢山いる。

学生委員会は楽しい企画屋さんではなく、真面目な奉仕屋さんなので、楽しくない活動も存在する。その一つが今回のトークテーマ「リリパックの回収」だ。

5限の始まる16時半に集合し、食堂裏へ行き、集められたリリパックの数を勘定しながら段ボールに詰め、送り状を貼り職員さんに段ボールの郵送を頼み込む。これが回収の一連の作業だ。メインはパックの勘定で、これには人手が要る。今日は600を超えるパックを勘定した。──僕ひとりで。

リリパックの回収への参加は任意だ。5限がある人は来れないし、誰も来なくても僕一人で片付けられることもある。食堂裏に集められるパックの数にはブレがあり、少ない日だと100もない。そういう日は1人でも10分で作業を終えられる。でも、1回生にはできるだけ参加するよう呼びかけている。引き継ぎや活動の把握のためだ。

毎日、誰かしらは来てくれていた。しかし、今日は誰も来なかった。不幸に不幸は重なるもので、今日に限って特別多く集まっていた。諸々の作業を行ない全ての工程を完了した頃には、17時半を過ぎていた。

1回生を面白くない仕事に付き合わせるためには、人望か度胸のどちらかが必要だ。残念ながら、僕には両方なかった。汚れ仕事は先輩後輩など関係なく、僕の仕事になっていた。

許される?⦅20歳68日目⦆

突然だが、自分語りの多い人についてどう思うだろうか。僕は自分の話が極端に多い人が苦手だ。話し手は楽しそうに話してくれるのだが、その出来事を体験したわけでもない僕がそれを聞いても反応に困ってしまう。

そもそも、自分語りが面白かった試しがあったか。周りにいる普通の人の話なんて、ペンの立つ作家のエッセイじゃないんだから、基本的にはつまらない。長時間もの自分語りを聞かされた日には、発狂した方が精神衛生上良いというものだ。

もちろんそのような目は、自分にも向けられているだろう。そのため、日常生活では自分の話はできるだけ削ぎ落とし、相手の話に乗っかるようにしている。

相手が明確にいるところで自分の話をすることは、僕の中では許されないことと判断される。でも、正直なところ、誰だって(もちろん僕だって)自分の話はしたいものだし、誰かに聞いてほしい。では、どのような状況であれば自分語りが許されるだろうか。少し考えてみよう。

まずはじめに、確実に許される状況を考える。たとえば、相手がいないところで自分一人によって消化する場合。ノートに日記を書くといった状況だ。これは100%許される。誰も被害を被ってないからだ。

でも果たしてこれで、自分語りの代替として満足いくだろうか。。少なくとも僕は満足できない。僕は誰かに話を聞いてくれって言ってるんだし、相手がいないことには、この欲求は満たされない。

そこで僕が良い塩梅なのではと思うのがTwitterだ。僕がTwitterで何をどれだけ呟こうと、見たくない人はブロックやミュートを受けて側がしてくれるし、仲の良い人からはいいねやリプライのようなリアクションが貰える。たとえリアクションが貰えずとも、誰かに見てもらえてるという感覚にはなるので、欲は満たせる。

また、今こうして僕がしているように、ブログにクソみたいな日記を書き連ねるのもまた、話したい欲をいい感じに発散できる。個人の書くブログなんて誰も見てないのだが、書く手間がかかる分だけ、自分の話や考えを誰かに伝えていると錯覚できる。やってることは、卓上のノートに日記を書くことと大差ないので、実際は一人で完結している。錯覚は偉大だ。

Twitterとブログ。それぞれ、見たくない人は見なくていいし、書き手は言いたいことを好き勝手に言うことができる。これらは許されるためのツールだと思っている。

しかし、たまに思うのだ。プライベート丸出しな内容を、僕と生活してきたわけでもない人の目に止まり得るこの状況は、本当に許されるのか、と。

オフラインで自分語りをする場合の相手は、少なくとも自分と面識のある友人などだった。それに比べて、インターネット上のツイートやブログは、見知らぬ誰かの目に留まり得る。見知った人相手でも許されなかったのに、どうせ誰の目にも止まらんだろうと安心しきって、自分勝手ながら錯覚に溺れるというのは、ちぃと配慮が足らんのではないか。

配慮というのは、うっかりこのブログや僕のtweetにたどり着いた人に対するもののことである。どこの馬の骨かもわからん野郎の日記なんて、許されないの頂点だ。

さて、配慮をするにはどうするが吉だろうか。Twitterは鍵垢にすべきか。ブログはリンクをどこにも貼らない方が良いだろうか。