ぺだんの日記

日々の出来事や思ったことを色々書いていこうと思います

「お金足りないから国が補助」は違うのでは?⦅20歳43日目⦆

英語の授業でプレゼンテーションをすることになった。トピックは何でもよい。ただし、自分の身の回りのことを話せという制約だけがついた。

僕は自動車学校について書くつもりだ。現在進行形で通っているし、普段から日記にも思うところを書いている。話のネタは多い。

自動車学校に対する数多のクレームを叫んで終わりとするでも良いのかも知れないが、せっかく話すのだから、一つのことに重きを置いて意見をしっかり述べよう。というわけで、今回は「自動車学校の入校費用」についてプレゼンをするつもりである。

みなさんの地元は入校料としておいくら万円ぶん取られるだろうか。地域によってさほど差はないと思うのだがどうだろう。オートマとミッションの差だったり割引の適応加減だったりで多少の増減はあるだろうが、僕のところは概ね30万円ということで通っている。昔もこれくらいだったのかな。

この金額設定を高いと見るか低いと見るか。人によってまちまちかも知れないが、僕はこれを高いと見た。多くの人は共感してくれると思っている。

就職活動をするにしても友達付き合いにしても、自動車免許は強みになる。最近の若いのと貶される我々世代は自動車免許の取得率が多少低いという話もあるが、それでも社会に出て仕舞えば、大体の人が持っていて然るべきライセンスといった風を感じる。おそらく、最近の若いのはと貶す世代の免許取得率はかなり高いものと思われる。

誰しもが持っておくべきとされるライセンスであるにもかかわらず、30万円もかかるというのは如何なものだろう。誰しもが持っていて当たり前のものは敷居が低く設定されていて当然だと僕は思う。義務教育が良い例だ。社会に出て必要とされるスキルは(無償とまでは言わないが)容易に手に入らなければならない。

さて、こんな内容を英語でプレゼンしようと思い、日本語で書いた草案を宿題で提出した。主張は「自動車学校の入校費用は10万にするべきだ」である。

これを見た日本人英語教師からこんなことを聞かれた。このトピックの主語は何ですか、と。僕は自動車学校学校だと答えた。教師は納得しなかった。教師は続けてこう聞いた。国が補助を出すべきなのではないですか、と。

僕はそうは思わない。この手の話をすると、国が金銭的補助を出すべきといった結論に落ち着きがちである。しかしこれでは、補助を出す国へお金を支払うのは誰ですかという話になりかねない。そりゃそうだ。今までお金を配ってなかった分野へ新たにお金を出すのだ。今のままでは借金一択。他の財源を掘り出すか、他所への予算を減らす必要がある。

もちろん今回の話で言えば、自動車免許は国家資格だから国が補助金を出すべきという考えは正しいのかも知れない。けれど、この教師はそういった方向性で考えてるわけではない様子だった。上に言ったような、補助を出す国はどこからお金を見つけるべきかの議論をすべきではないかと質問をしたところ、教師は思わぬ角度から反論してきた。

あなたが国からの補助金を必要に感じたならそう主張すれば良い。国がどうするかはあなたの考えることではない。

──だそうだ。納得いくだろうか。

僕はこれに賛同できなかった。僕にはどの考え方が正しいかなんてわからない。しかし僕には教師の考え方が、あまりにも無責任なものに思えた。

国が国民のためにお金を出すのは当たり前。だからといって役所を奴隷扱いして良い理由にはならない。