ぺだんの日記

日々の出来事や思ったことを色々書いていこうと思います

時間経過では消えないストレス⦅20歳75日目⦆

イライラしたときの対処法としてよく聞くものの多くは、運動や芸術といった昇華による解決である。別のものにのめり込んでいる間はストレスの元となる何かを意識せずにいられる。つまり、冷静になるためには時間が必要なのだ。冷静になるための時間を稼ぐ。これこそがストレス解消の本質だと思っている。

カラオケやジムに行って時間を作ればストレスは弱まる。活動して体がいくら温まろうとも頭はクールダウンするというのだから面白い。

さて、熱が冷めるにはそれ相応の時間が必要だという話だが、具体的にどれくらいの時間が必要なのだろうか。抱えたストレスの度合いによって冷ます量も変わってくるから一概には言えないが、ストレス解消法として睡眠が上位にランクインするあたりを見ると、1日足らずで十分だと考えられる。

確かにイライラした気持ちがが翌日の同時刻まで持続するなんてことはそう多くない。しかし、ストレスが再燃することはよくある。それはストレスの元を思い出したり、元凶を見聞きした時である。

例えば料理をしていたとき。大きな失敗をして良いものが作れなかったとする。普段なら普通にできていたものが作れないと、かなりのストレスがかかる。この負荷も食事が終わってしまえば忘れて消えて行く。しかし、翌日また台所に立った時に昨日の失態を思い出して、心が無性にそわそわする。嫌な出来事ほど忘れないとよく言うが、さらに付け加えて嫌な出来事ほどよく思い出すもセットで諺にするべきだ。

上の段落では例示として話を切り出したが、これが今日の僕である。実際には、解凍した生肉のドリップを捨てようと皿を流し台に傾けたところ、半分以上もの肉も一緒に流し台は落下させてしまうといった凄惨な事件がストレスの元凶だ。今回使おうと解凍した肉はブロック肉ではなく挽肉だったので、手で抑えていたにも関わらずトレー下部から千切れて落ちていった。200グラムあった肉も鍋に入れたのは僅か1/3ほどだった。

レシピでは140グラムの挽肉を使うよう指示されていた。パック丸ごと200グラムを使って肉沢山のボロネーゼを食べる予定が、実際にできたのは肉の総量70グラム足らずの貧相ケチャップスパゲッティだった。味は良かったとかそういう話はこの際どうでもいい。ちょっと贅沢に肉沢山なボロネーゼが貧乏飯に成り下がってしまったことにひどく落ち込んだ。

さらに間の悪いことに、この貧相パスタは人に振る舞わなければいけなかった。来客ではない。家主にだ。

調理していたのは僕の家の台所ではない。付き合ってる彼女邸の台所だ。つまりお釈迦にしたお肉は彼女が買ったものだった。自分の不手際で、せっかく買ったお肉を墓地送りにしてしまったのだ。これに不出来な料理を出す心苦しさも相まって、後悔や苛立ちは募る一方だった。

心にかかるこの負荷はいつ解消できるのだろう。ストレス解消の策を講じれば完全に解放されるのだろうか。この台所に立つたびに口の中いっぱいの苦虫を噛み潰さないといけないのだろうか。

心の荷重は他にもいくつかある。これらから解放されるのはいつになるだろう。毎週特定の曜日になると思い出したり会ったりすることになるこれらについて、解消の糸口が見つかれば実践したい。負の習慣化してしまわない為に。

教習所とかいうストレスは比較的すぐに解消できそうだ。車を運転するたびにイヤミなおじさんを思い出すといったことがない限りではあるが。

そうでないストレスは…サークルか。人手不足なサークルだから、もしかすると卒業までは付き合いが続くかもしれない。となると、卒業までは蟠りを抱えたまま生きるほかない。